英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差


>>英語圏では、大学や図書館や博物館や学者コミュニティなど、知の最高峰に位置する人々や組織が「人類の公共財産たる知を広く誰にも利用可能にすることは善なのだ」という「パブリックな意識」を色濃く持ち、そこにネットの真の可能性を見出しているように思えるのだ。その感覚が日本語圏のネット空間には薄い。<<


激しく同意します!
英語でいうコンサーヴァティブな(保守的な)
年配の経営者はそう思ってるのではないだろうか

そりゃ理想はでかいけどさ
だって「人類の公共財産たる知」って
なんか神々しいよね